外の世界にある音ではなく、自分の中にある音を聞こうとしている者がこんなにも賢く見えることに驚きつつ、そっと彼を見守った
小川洋子
小川洋子の小説『ことり』の中の一節である。
題名のとおり、「ことり」をめぐる話で、物語はとても静かに流れる。
人間の言葉は話せないが、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉が唯一理解できる弟(主人公「小父さん」)の、互いに支え合いながらひっそりと生きていく様子が描かれた、優しくも切ない物語。その終盤、傷ついた幼いメジロを育てている小父さんが、歌を忘れたメジロに、かつて兄から教わったメジロの声を鳴いて聞かせるという場面なのだが、静謐な中にひそむ真理を垣間見たような気がした。
聞こえてくる音を拾い集めることは容易い。
しかし、聞こえない音を拾い集めることは、そう簡単にできることではない。
聞こえないからといって、音がないわけではない。むしろ、聞こえない音のほうが無数に存在するのではないかと思う。
生まれたての赤ん坊は、まわりの音に反応する。大人が語りかける言葉にじっと聴き入り、いくつもの音の玉を胸の中にかき集め、ある日とつぜん、いっぱいになった音の玉がポロリとこぼれ落ちる。やがて玉はつながり「言葉」となる。
生まれる前からもっていた音に、かき集めた音が共鳴するのだろう。
子供の言葉や行動にはっとさせられるのは、まわりの音ではない、自分の中にある音にじっと聴き耳を立て、その音に素直にしたがっているからではないだろうか。
(160504 第192回)