いま何をしようかではなく、自分はいま何をしているのか
横須賀にある建長寺派のお寺、満願寺の永井宗直住職の言葉を紹介。数年前の『Discover Japan』の禅特集で、禅的な生活をする上での重要なポイントとして、こう語っていた。つまり、「いま・ここ」の教えである。
とかく人は何かとすぐに忘れる。
「わかっちゃいるけど、やめられねぇ」のが人なのだ。
だから、何度も言い聞かせる。
「今に集中しろ!」
と、他人にも、自分にも。
予備校講師の林修さんなら言うだろう。
「いつやるか? いまでしょ」と。
永井和尚によれば、このセリフは禅の世界では当たり前なんだそうな。
老師たちはたびたび修行僧へ叱咤激励の檄を飛ばす。
「いまやらんでいつやる!」
せかせかと忙しない日常があるかと思えば、気ばかりが焦って何をしていいのかわからないという時もある。
世間のスピードに足並みが揃わなくて悩んだり、落ち込んだりすることもある。
ニンゲンだもの。
心身が疲れ切った時は休んでいい。
でも、ずっと休みっぱなしも気が引ける。
さて、どうしたものやら……。
と、そんな時こそ「いま」を問うのだと永井和尚。
「いま何をしようかではなく、自分はいま何をしているのか」
常に「いま」を問うことで、本来の自分が見えてくるという。
つまり、自問自答を繰り返す中で見えてくる「本来の自分」との対峙は、「いま」の自分に必要なこととの対峙なのだ。
自分はいま何をしているのだろう。
何かをしているかもしれないし、
「何もしていない」ことをしているかもしれない。
つい忘れそうになる「いま」を、もう一度見つめ直してみよう。
いま必要なものが見えてくる。
今回は「夕間暮れ」を紹介。一日の中で、美しさと寂しさが同居する時間といえば、夕ぐれ時でしょうか。一年の中では秋。「秋は夕ぐれ」と言った清少納言の気持ちがよくわかります。続きは……。
(210916 第748回)