生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ
ナチスの強制収容所から生還した精神科医ヴィクトール・E・フランクルの言葉をひとつ。名著『夜と霧』からの抜粋である。1940年代の最も過酷で凄惨な戦禍を生き抜いた彼からすれば、現代は幸福を絵にかいたようなユートピアにも思えるだろう。にもかかわらず、世界中の多くの人々が強制収容所の住人のような生きづらさを抱えているのはなぜなのか。フランクルの言葉が解決の糸口になればいいのだが……。
人間が抱える問題は、本質的に時代や環境は関係ないのかもしれない。
なかでも「生きるとはなにか」という問いは、人間にとって永遠のテーマだ。
それが証拠に、いつの時代も生きづらさを抱える人はいる。
老若男女問わず、富裕貧困にかかわらず、生きづらさを理由に自死を選ぶ人が後を絶たない。
生きづらさの理由は、各人それぞれ深刻なものがあるにちがいない。
では、「生きづらさ」をなんとか「生きやすく」するにはどうすればいのか。
フランクルによれば、
「必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換すること」で、
「生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているか」
を学ぶ必要があると言う。
つまり、
「なぜ生きるのか」を考えるのではなく、
「なぜ生かされているのか」に気づくことが重要なのだ。
生きているのではなく、生かされている。
そう思えば、今やるべきことが見えてくるのではないか。
フランクルに倣って、ニーチェの言葉を借りよう。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
自ら過分な期待はしない方がいい。
他人にも自分にも。
生かされていること自体、生命から「生きる理由があるのだ」と期待されているのだ。
一日一日、ただそれに応えるだけでいい。
今回は「色なき風」を紹介。
―― 吹き来れば身にもしみける秋風を 色なきものと思ひけるかな(紀友則『古今六帖』)続きは……。
(211029 第758回)