原点法で評価するのではなく、小さな失敗は許容し、大きな失敗はしない社会にしていく
歴史学者の磯田道史氏の言葉を紹介。某新聞の対談で語っていた言葉だ。さすが歴史学者、磯田氏の俯瞰的見方は実に面白くためになる。『武士の家計簿』など作家としても、またタレントとしても著名のため、磯田氏の俯瞰的思考はお茶の間にも届いているはず。
やはり日本人は真面目な人種なんだろう。
リスクにおいても完璧を求める。
磯田さんいわく、令和の日本はスピードとリスクに対する感覚が鈍っているようだ。
「ゼロ信仰が強く、意思決定が進まない。けれども、もはや我々はリスクのある社会に生きていると思っておいた方がいい」
危険はどこにでも潜んでいる。
犬も歩けば棒に当たるように、車社会の現代は道を歩いているだけでもリスク満載。
道の端を歩いていても、つまずくこともあるし、車が飛び込んでくることだってある。
前方不注意のスマホ歩き、スマホ運転が多発していることを思えば、これはもう被害者も加害者も「リスクゼロ」を言っている場合ではない。
そうなると、責任を他者に押し付ける前に、自分でなんとかするしかないわけで、「ああ、今日もいろいろあったけれど、まあなんとか無事に過ごせたよ」なんて、加点方式で考えてみるのはどうだろう。
「小さなことをコツコツと」が得意な民族なのだから、「小さなプラス」を数えていけば、「大きなマイナス」どころか「大きな喜び」につながるはずだ。
歴史学者の磯田さんは、いつも何やら嬉しそうな、笑を含んだ話し方をする。それもきっと、歴史という大きな流れを、こと細かく見つめてきたことの余裕の笑みいちがいない。
そんな磯田さんだから、きっと本当はこう言いたかったはず。
「リスクのない社会など、かつてどの時代にもあり得なかったですよ」と。
磯田さんは、こうも言っていた。
「時間や空間、自分自身から一度離れるといい。時間から離れるなら歴史、空間から離れるなら旅行、自分自身から離れるなら自然物などを見るとか。
一見、無駄に思われるあれこれを考えることこそ、A Iにはない人間の本質であり、新しい考えやモノを生み出す本体だと思う」
故郷を離れて初めて見えてくるものがあるように、慣れた日常からいったん離れることで、大きな視点と、小さな自分に気づくのだ。
今回は「色なき風」を紹介。
―― 吹き来れば身にもしみける秋風を 色なきものと思ひけるかな(紀友則『古今六帖』)続きは……。
(211110 第760回)