しあわせになる義務はない
コピーライターの糸井重里氏の言葉である。正確には、糸井氏が親類の結婚式でスピーチを頼まれたときに、必ず新郎新婦に贈る言葉なのだそうだ。氏が展開するサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』、通称『ほぼ日』サイトで10年ほど前に脳科学研究者の池谷裕二さんと対談していたときの話だ。
研究者の池谷さんによると、科学の進歩は必ずしも仮説検証型ではないらしい。
「天文学の父」と言われているガリレオ・ガリレイが土星の輪や木星の周りに衛星が回っていることを発見したのも、空に魅せられて天体望遠鏡を作り宇宙を観察していたら「たまたま」見つかったというだけ。
つまり、ガリレオはそれらを見つけようと思って天体望遠鏡を作ったわけではなく、興味、関心、欲求によって天体望遠鏡を作り、発見につながったというわけだ。
「お!、なんだあれは!」となり、
「なんか、おもしろそうだから天体望遠鏡つくって空見てたら、見つけちゃったんだよね〜」
で、天文学の父となってしまったガリレオ。
もしも仮説を立てていたら、世紀の発見はあったかどうか…。
仮説は目的であり、縛りでもある。
となると、仮説は興味、関心、欲求に駆られて行動しようとする自由度を阻害する要因にもなる。
池谷さんいわく、脳はとても不自由な存在で、頭蓋骨という閉鎖的な場所に入れられているがために孤独で騙されやすい。
だから、良くも悪くも「思い込み」がカギだと言われる所以は、その辺にある。
思いや言葉に縛られることで、いい結果につながることもあれば、そうならないこともある。
「こうしたいのにできない」というジレンマと戦い、心を病むことがあるのは、「男だから」「女だから」「親だから」という自分を制限するものや肩書があることによって、脳は本来自由であるはずの行動を制限してしまうからだ。
言葉の威力はすごい。
それを誰よりも知っているコピーライターの糸井氏だからこそ、新郎新婦に花向けの言葉を贈る。
「しあわせになる義務はない」と。
――しあわせになんなきゃと思ってたら、人に見せるしあわせになっちゃうからね。
見えやすいしあわせなんか追っかけたって、ありっこないんだから。
あとで振り返って、ああ仲良くできたねっていうくらいで十分。
「しあわせになる義務はない」と思って世の中を見渡せば、なるほど「しあわせ」というのは後付けに過ぎない。
孤独な脳が思い込まされた「しあわせ」の定義に振り回されてはいけない。
それよりも、孤独な脳を喜ばせてあげよう。
脳をワクワクさせてあげよう。
縛りを解いて、ワクワクへ向かわせてあげよう。
そうすれば脳は「しあわせ」を感じる。
今回は「木枯らし」を紹介。
秋の終わりと冬の始まりを知らせる冷たい北風が、「木枯らし」です。続きは……。
(211201 第764回)