この世に悪い草だの、悪い人間だのはいないのです。悪い栽培者がいるだけなのです
不朽の名作『レ・ミゼラブル』の中にこの言葉はある。ヴィクトル・ユゴーがジャン・バルジャンに語らせたセリフだ。逃亡中の囚人であったジャン・バルジャンが司祭との出会いで改心し、マドレーヌ市長となって市民に奉仕するくだりで、枯れたイラクサを拾い集める人々に向けてこう言った。
悪い草、悪い人間。
物事に善悪をつけるのが人間ならば、善悪を作るのも人間だろう。
人の手が入らない無人島は、生態系も守られ、環境の変化にも対応しながら独自に進化していくという。
ところが一度人間が入り込めば、生態系は脆くも崩れるのだから、その責任は大きい。
捨て猫や捨て犬問題、犬猫以外のペットや植物の放棄による生態系の破壊も、人間の身勝手さが引き起こした社会問題である。
飼うなら最後まで責任を持つという覚悟がいる。
料理ひとつとっても、大根の皮も葉っぱも余さず食べる工夫をするとか、作り手や食べる人の意識の違いで大根の命が良くも悪くもなるように、何事につけ、問題の原因は人間側にあるということだ。
「すこし手間をかけさえすれば、イラクサも役に立つ。ほおっておくと害になる。それで引き抜くことになる。こういうイラクサにそっくりな人間がなんとたくさんいることだろう!」
マドレーヌ市長ことジャン・バルジャンは、土地の人々が一生懸命にイラクサ抜きをしているのを目にしてそう言い、続いて
「この世に悪い草だの、悪い人間だのはいないのです。悪い栽培者がいるだけなのです」と、言いそえた。
人はみんな、何ももたずに丸裸のまま生まれてくる。
人間世界の常識や分別など何も知らない無垢な赤ん坊が、その後、大きく大別されていくのは、土壌を作る環境や教育者、指導者の差異と言えるだろう。
だとしたら、本来無一物の人間に平等に与えられているものは無尽蔵である「可能性」ともうひとつ、生きていくために背負わねばならない「責任」という罪過なのではないだろうか。
今回は「波の花」を紹介。古来より花にちなんだ言葉は多いですが、「波の花」もその一つ。冬の荒波に打ち寄せられた白い泡を花に喩えて「波の花」といい、花柳界では「塩」の隠語としても使われます。続きは……。
(211219 第768回)