心を込めて、ていねいに、きれいに整えて料理するうちに、その人自身のふるまいが美しくなり、たいそう様子が良くなっていく
料理研究家の土井善晴氏のことばを紹介。プロの料理人はアーティストであり哲学者だと思う。概ね、料理人が語る料理の「いろは」は、人生の「いろは」に通じるものが多い。この言葉もそのひとつだろう。「料理する」を「生きる」に変えてみるのもいい。土井氏の料理哲学が詰まった著書『おいしいもののまわり』で見つけた。
ここ近年、「ていねいに」という表現を目にすることが多くなった。
便利さを追求する行動を、「ていねい」というストッパーで立ち止まらせている。
敏感な人は立ち止まり、自分の行動を振り返る。
そして気づく。
なんとなく「ていねい」の方が気持ち良さそうだということに。
「調理とは、調理経験のみが技術を向上させるのではない。おいしいもののまわりにある何かを感じること。それは家族、人の人生、歴史や文化、信仰や哲学によって素材との接し方を見極めることである」
と、土井氏は「あとがき」で調理の鉄則を語っている。
調理という部分に自分の仕事(あるいは人生)を当てはめて考えてみてほしい。
何かが見えてくるのではないだろうか。
もしも何かで行き詰まっているとしたら、その原因が浮かび上がってくるのではないか。
何かが見えてきたら、きっと「ていねい」の真意に気づくはず。
「お祝いの料理はそもそも、神様のために人間が工夫をしてつくったもの。そのお裾分けを人間がいただく。
……ゆえに、一年の節目のおせち料理は、手をかけてつくることに意味がある。それは感謝を表し、家族の幸福への願いを強く込めることになる」
自分のための「ていねい」が、誰かのためになっていることもある。
誰かのための「ていねい」が、自分のためになっていることもある。
普段使いの「ていねい」と、特別な時の「ていねい」があっていい。
「これだけは」と思うところだけの「ていねい」でもいいと思う。
いつもより、ほんの少し丁寧に生きてみると、世界はちがって見えるはず。
今回は「しろかね」を紹介。
―― 銀も金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも(『万葉集』より)。山上憶良のこの歌で「銀」を「しろかね」と呼ぶのだと知った人も多いのではないでしょうか。続きは……。
(211230 第770回)