観ることは対話の始まりだ
直木賞作家、朝井まかてさんの言葉を紹介。歴史に名を残した人物たちのすぐそばで、粛々と仕事をこなす実在の女性たちにスポットを当てて物語を紡ぐまかてさん。まかてさんによって救い出された主人公の女たちは、時代に翻弄されながらも男たち以上に生き生きと楽しげである。某新聞の文化欄で、好きな美術展での様子をこう語っていた。
コミュニュケーション能力というものが問われて久しい。
良好な対人関係を築くには、コミュニケーションは欠かせない。
ところが、それがうまくできない人が多いのも事実。
バーチャルな世界が当たり前になり、面と向かって対話をすることが少なくなったことも理由のひとつだろう。
ましてや機械操作されたデタラメな情報が氾濫しているのだ。何を信じていいかわからないからコミュニケーションは苦手、となっても不思議ではない。
しかし、考えようによっては「バーチャルな現代だからこそ良かった」と思えることもある。
時空を超越するのであれば、過去の偉人たちや他の動植物やあらゆるモノ、あるいは宇宙人とだって対話することも可能なはず。
まかてさんは言う。
「主人公が芸術家に限らずとも、史実上の人物を書く場合、彼らの遺した絵や書を飽かず眺めることが多い。あなたはどう生きたのか? 観ることは対話の始まりだ」
人であろうとモノであろうと、本当に相手を知りたいと思えばコミュニケーションは成立する。
むしろ言葉を持たないモノたちや、無言で佇むものほど熱心に語りかけてくれるかもしれない。
「あなたを知りたい」と、対峙するものに真剣に向き合ってみよう。
声なき声に耳をすましてみよう。
思いがけず存在を認められた彼らはきっと、慣れない言葉で密やかに語り始めることだろう。
今回は「しろかね」を紹介。
―― 銀も金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも(『万葉集』より)。山上憶良のこの歌で「銀」を「しろかね」と呼ぶのだと知った人も多いのではないでしょうか。続きは……。
(220109 第772回)