自立とは、多くのものに依存できている状態だ
小児科医で学者の熊谷晋一郎氏の言葉を紹介。新生児仮死の後遺症で脳性まひの障害をもつ熊谷氏は、幼い頃から厳しいリハビリを受け、後に車いすでの自活を送るようになり、「自立」の本当の意味を知ったという。それは、健常者と障害者を決定的に分かつ重要な問題でもあると同時に、自立できない人々にとっても大きなヒントになると思う。
成人年齢が20歳から18歳に引き下げられることになった。
若葉の季節を謳歌する若者たちの、期待と不安はいかばかりだろう。
彼らの進む未来が、明るく希望に満ちた世界であることを願う。
「大人」という責任を背負い、彼らは自立への道を歩み始める。
周囲も「もう大人だから」と、あるときは優しく、あるときは強く、彼らの背中を押すだろう。
「自立」の張り紙を背中に貼って。
では、どうすれば「自立」できるのか。
一般的には、自立とは他の助けや力なしに、自分の力でなんとかすると捉えられているが、熊谷さんは、その考えに一石を投じる。
そもそも、「自立」の反対語は「依存」だと勘違いしているところに、大きな食い違いがあると言う。
「人間はモノであったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんです」
熊谷さんは東日本大震災のとき、唯一たよりにしていたエレベーターが止まって地上に降りられず、ビルに取り残されそうになって、自立の本当の意味に気づいた。
「他の人は階段やはしごで逃げられるけれど、自分は違う。みんなは5階から降りるにも3つの依存先がある。でも私にはエレベーターしかなかった」
そのことに愕然とし、熊谷さんは障害の本質に気づいた。
障害者というのは、依存先が限られてしまっている人たちのこと。
健常者はさまざまなものに依存できている人たちで、ただその便利さに気づいていないだけ。
実は膨大なものに依存しているのに「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが「自立」ではないか、と熊谷さんは考える。
「自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない」
依存が悪いわけじゃない。
何に、どんな風に依存するかが問題なのだ。
手を切りたい依存先があるのなら、それに変わるものを見つければいい。
音楽でもいいし、本でもいい。
趣味や生きがいは、最も友好的な依存先。
誰かや何かに頼ることは恥ずかしいことではない。
困ったときに頼れる場所があることは、心の支えになるのだから。
一人で立っているように見える樹も、太陽の光や雨に支えられ、鳥や虫たちの助けがあって生きている。
若者と自立を目指す人たちへ。
どうか、ひとつでも多く、安心して頼れる場所を見つけてください。
それが「自立」への第一歩です。
そして、良識ある大人たちへ。
彼らの「自立」に力を貸してあげてください。
突き放すのではなく、必要であれば暖かいベッドとパンを与え、良き方向へ導いてあげてください。
今回は「三つの花」を紹介。
美しいものを花に喩えるのが好きな日本人は、内に篭りがちな寒い冬でも美しい花を愛でたいと思ったのでしょう。凍りつくような寒い朝、大地を覆い尽くすようにキラキラと霜が降り立ちます。この霜が「三つの花」です。続きは……。
(220203 第776回)