喜ぶということに最も大切なことは、物事を深くよく見て、ありがたいと思うことかと考えられる
世界的にも権威ある脳神経解剖学者の平澤興博士の言葉を紹介。京都大学の16代総長も務めた平澤博士は教育者としても高名で、解剖医学からの見地によって生命の神秘性と人間の可能性に焦点を当てながら「生きることの喜び」を語り伝えた。この言葉もその一片。博士の語録集『生きよう今日も喜んで』にあったものだ。
無邪気な子供は、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりと、ほとばしる感情に素直である。
それは子供らしい可愛らしさで、見ているこちらまで笑顔になってしまう。
一方、無邪気さを失った大人はというと、そうそう素直に喜んだり楽しむこともなく、忙しない日常や思い通りにならない現実に怒り、イライラすることが多いからか、しかめっ面で、周りも嫌な気分にさせてしまう。
成長の過程でそうなるのだとしたら、はたして成長とはなんなのか。
おそらく、感情のコントロールができるか否か。
そこに成長レベルが見られるのだろう。
感情のコントロールは、自己コントロールでもある。
だとしたら、表面的なことに一喜一憂しているのでは大人げない。
「喜ぶということに最も大切なことは、物事を深くよく見て、ありがたいと思うことかと考えられる」
と、平澤博士も言っているように、物事をじっくり考察してみれば、そのものの本質が浮き上がってくる。
「今日無事に目が覚め、元気で暮らしているなどということにしても、まったく不思議極まることなのである。
……人間の命は、実はただの一つの命ではなく、およそ世界総人口の1万倍の小生命、すなわち約50兆の細胞からなる生命共同体で、わずか約50億の人口のこの地上に紛争の絶えないことを思うと、数十兆の細胞的生命の共同体たる人間には毎日もっと故障が起こってもよいはずだが、その割にはなんと病気が少ないことか」
昭和40、50年代当時の平澤博士の言葉であるが、われわれ人類がいまだ存在していることを思えば、まったく同感である。
朝に目覚め、夜に眠り、そしてまた朝に目覚める。
それを当たり前と思うか、ありがたいと思うか。
そこに喜びの本質があると、博士は言っているのだ。
良いことも悪いことも、長い目で見れば成長のためには必要なこと。
この世に生まれてきた奇跡を思えば、どんなことも、めったに経験できない有り難しこと。
そんな風に思えたら、生きているだけでもありがたいのに、さまざまな体験によって成長できるなんて、なんとありがたいことだろう。
今回は「三つの花」を紹介。
美しいものを花に喩えるのが好きな日本人は、内に篭りがちな寒い冬でも美しい花を愛でたいと思ったのでしょう。凍りつくような寒い朝、大地を覆い尽くすようにキラキラと霜が降り立ちます。この霜が「三つの花」です。続きは……。
(220207 第777回)