四苦即四喜
前回につづき、脳神経解剖学者の平澤興博士の言葉をもうひとつ。これも博士の語録集『生きよう今日も喜んで』から拾った。まるでベートーヴェンの『第九』のように、タイトルからして生命の歓喜に震える歌が聴こえてくるようではないか。博士の言葉に触れると生きる希望に満ちてくる。
仏教では、生きること、老いること、病むこと、死ぬことを人間の根源的な苦しみとして「四苦」と捉える。
さらに、愛するものと別れる苦しみの愛別離苦、忌み嫌うものとの出会いである怨憎会苦、求めるものが手に入らない時の求不得苦、自分自身が思い通りにならない五蘊盛苦、この4つの苦しみを合わせて四苦八苦とする。
なんとまあ、人間とは苦しみの多い一生だろう。
そんな風に人生を捉えてしまうと、生きるのが辛くなってしまうじゃないか。
苦しむために生まれてくるなんて、そんな馬鹿げた話は信じたくない。
悟りを開いたお釈迦さまである。
自分の体験から、人々に生きる希望を与えたはずではなかったか。
ひねった蓮の花に、ただひとり微笑み返してお釈迦さまの意に応えた弟子の迦葉は、おそらく四苦八苦の本意に触れたのであろうと思われる。
それはもしかして、平澤博士の説く「四苦即四喜」と同じではないだろうか。
「人間が生まれるということ、この不思議さに比べると生むための苦しみなどというものは、考えようによっては、むしろ苦しみではなく大きな喜びであり、大きな感謝である」
そう、なにごとも「考えようによって」なのだ。
考えようによっては苦も楽になるし、楽も苦になる。
悟られたお釈迦さまである。
蓮をひねって
「ほらごらん、ものごとは自分次第で如何様にもなるのだよ」
と、伝えたかったのかもしれない。
「そうですね、お師匠さま」と、にっこり微笑み返す迦葉。
この二人の以心伝心のやりとりが本当にこのとおりなら、人生は四苦即四喜であり、八苦即八喜ということだ。
そう考えた方が、断然、人生はおもしろい。
「私は生老病死を四苦と考えず、四喜とみているのである。一年に四季がある如く、生があり、老があり、病があり、死があるということは面白くそこに喜びがあると思っている」
人生は拈華微笑。
捉え方しだいで四苦は四喜に、不幸も幸に変わるのだ。
今回は「三つの花」を紹介。
美しいものを花に喩えるのが好きな日本人は、内に篭りがちな寒い冬でも美しい花を愛でたいと思ったのでしょう。凍りつくような寒い朝、大地を覆い尽くすようにキラキラと霜が降り立ちます。この霜が「三つの花」です。続きは……。
(220212 第778回)