適材適所で働き、その結果として、なんらかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である
2年後の2024年、紙幣のデザインが一新される。その最高額1万円紙幣の顔は渋沢栄一。生涯にわたり500以上もの企業に携わった「日本資本主義の父」である。渋沢が『論語』を片手にソロバンを弾いていたのは周知の事実だが、この言葉もそこから導きだした論法だという。守屋淳氏による現代語訳『論語と算盤』から抜粋した。
宮大工の口伝に「木組みは寸法で組まず、木のクセで組め」というものがある。
木材で建物を建てるとき、切り倒した木はすぐに使わず、しばらく時間を置き、ねじれや歪みなどのクセをみるのだという。
生まれながらに右や左にねじれるクセを持っている木は、寸法で組んでしまうと、その後に狂いが生じる。
それを防ぐために、寸法で組まずクセで組むのだそうだ。
育ってきた環境で身ついたクセは、そう簡単には正せないし、必ずしも正す必要はなく、クセを生かせばうまくいく。
渋沢のいう「適材適所」である。
この口伝は人の扱い方にも通じるという。
故西岡常一棟梁いわく、
「クセを見抜いてその人のいいところを伸ばそうとしてやらななりませんわな。育てるということは型に押し込むのやなく、個性を伸ばしてやることでしょ。それには急いだらあきませんな」
とかく人は間違いを犯しやすい。
とりわけ自分と他人との違いを認めつつも、その取り扱いは「おなじ型」を求める。
しかし、ねじれや歪みのクセを無視した「おなじ型」は、やがて建物の組織を狂わせてしまう。
それは結果的に、自分の足元、住う国家社会を脅かしてしまうのだと渋沢は警鐘を鳴らし、「自由と平等」の本意を語る。
「適材適所で働き、その結果として、なんらかの成績をあげることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である。それは、わたし渋沢が国家社会に貢献する道ともなるのである。
……その人が活動する天地は、自由なものでなければならない。渋沢の下にいては舞台が狭いというのなら、すぐにでも渋沢と袂を分かち、自由自在に海原のような大舞台に乗り出して、思うさまやれるだけの働きぶりを見せてくれることを、わたしは心より願っている」
人は平等でなければならないと、渋沢は云う。
しかもその平等は、ケジメや礼儀、譲り合いがなければならないと。
自由と平等とは、「みんな同じ型」なのではなく、みんな等しく適材適所の型におさまり、クセを生かして役割を果たせることなのだろう。
今回は「三つの花」を紹介。
美しいものを花に喩えるのが好きな日本人は、内に篭りがちな寒い冬でも美しい花を愛でたいと思ったのでしょう。凍りつくような寒い朝、大地を覆い尽くすようにキラキラと霜が降り立ちます。この霜が「三つの花」です。続きは……。
(220217 第779回)