兵は不祥の器
軍隊は不吉な集団
夫(そ)れ兵は不祥(ふしょう)の器、物或(つね)にこれを悪(にく)む、故(ゆえ)に有道者(ゆうどうしゃ)は処(お)らず。
これは老子の一節で、「軍隊というものは人を殺すことを目的とした不吉な集団である。だから長寿を説く「道」を知った人間は軍隊には近寄ろうとはしない」という意味になります。
そして、以下に続きます。
君子、居れば則(すなわ)ち左を貴(たっと)び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器にあらず。已(や)むを得ずしてこれを用うれば、恬惔(てんたん)なるを上なす
その意味は、「人の上に立つ立派な人は、通常は左の席を上座とするのに、軍隊では右の席を上座にする。軍隊は不吉な集団なので、人の上に立つ人が本来使うものではない異常なものなのだ。やむを得ない理由で使わねばならない時には、あっさり使って長く使わない事が最上である」となります。
戦争で誰が幸せになるのか
現在、ロシアによるウクライナ侵攻(戦争)により、ウクライナの人々の生活や命が奪われ、社会インフラが次々と破壊されるなど危機的な状況が続いてます。
被害はウクライナ国内にとどまらず、攻める側のロシアにも、そして世界中に深刻な影響を及ぼしています。兄弟のような国に危害を加えているロシア兵だけでなくロシア国民の大半も心を痛めているでしょう。
この戦争の結果がどうであれ、世界の中でロシアという国に対する信頼が失墜し、回復には永い歳月を要することになるでしょう。ロシア大統領の「世界に認められたい」という強い欲求が実現するどころか真逆の方向に進んでいます。
きっとこの侵略は黒の歴史として後世に語り継がれることでしょう。一部の権力者と軍需産業以外で、戦争というもので利益を得るものはいったい誰なのでしょうか。本当に人間(特に絶対的な権力を持った為政者)は、歴史に学ばない愚かな動物だと思います。
利益を貪ることが戦争をもたらす
再び老子に戻ります。
勝ちて而(しか)も美ならず、而るにこれを美とする者は、これ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以(も)って志を天下に得べからず。
その意味は、「勝利したとしても、それを善いこと、誇るべきこと、美しいことだとしてはいけない。勝利を善いことだとする人間は、人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間のことを志のある者とは決して言えず、天下に認められるはずもない」となります。
どんな大義があろうと他国を侵略し、人を殺す行為は許されません。
「国益を守る」とどの国の為政者も言いますが、それぞれの国が国益を最大化しようとすると利害が衝突し、どこかであきらめないと最後は戦争になります。かつての日本もそうであったように、最後は悲惨な結果を迎えます。
同様に企業経営においても「今期の利益を倍増する」「企業価値を最大化して株主満足を高める」という大義のもとに、社員が病気になったり不正を強いられたり、環境が破壊されるなど取り返しがつかない事態を招いては、社会貢献が使命である企業にとっては本末転倒です。戦争であれ、労務問題でれ、環境破壊であれ世の中の深刻な問題の根底には、人間は利益を貪り始めると際限がないという「性(さが)」が横たわっています。
この観点を踏まえ、論語ではこう説いています。
上下交々(こもごも)利をとれば、國危うし
つまり、組織の経営者も社員も全てが利益を追求すると国や会社は危機に陥る、と警鐘を鳴らしているのです。
足を知る者は富む
では、どうすれば良いのか。その答えも老子は用意しています。
足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。
その意味は、「満足することを知っている人間が本当に豊かな人間で、努力を続ける人間はそれだけですでに目的を果たしている。自分本来のあり方を忘れないのが長続きをするコツである。死にとらわれず、道に沿ってありのままの自分を受け入れることが本当の長生きである」となります。
つまり、地位や権力や利益に取り憑かれて自分を見失わないように無欲でありなさい。そうずれば長生きでいい人生が送れるというのです。
強者こそ母のようにすべてを受容する
さらに老子はこうも言っています。
大国は下流にして、天下の交(こう)なり。天下の牝(ひん)なり。牝は常に静(せい)を以(も)って牡(ぼ)に勝つ。静を以って下ることを為せばなり。
その意味は、「大国というのは言わば多様なものが集まり交わって新しいものが生まれる大河の下流のようなものである。正に天下のすべてを受け入れる女性(メス)のようである。女性は常に静かにじっとしていながら男性(オス)に勝つ。それは静けさを保ちながら、男性に対して謙虚にへりくだっているからなのだ」となります。
さらに、
故に大国以って小国に下れば、則(すなわ)ち小国を取り、小国以って大国に下れば、則ち大国を取る。故に或(ある)いは下りて以って取り、或いは下りて而(しか)して取る。大国は兼ねて人を畜(やしな)わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事(つか)えんと欲するに過ぎず。それ両者、各々(おのおの)その欲する所を得んとせば、大なる者は宜(よろし)く下ることを為すべし。
その意味は、「よって大国が小国に対し謙虚にへりくだれば小国が服従してきて、小国が大国に対し謙虚にへりくだれば大国の保護が得られる。こうしてある者は謙虚でへりくだって信頼を得て、ある者は謙虚でへりくだって安心を得る。このような大国は小国の人々も養いたいと思うだけであり、小国はそんな大国の役に立ちたいと思うだけである。これらの国々がお互いに望みを叶えようとするならば、まず力のある大国の側が先に謙虚でへりくだるべきである」と言うのです。
「王道」の政治と経営を
孟子に、「力を以て仁を仮(か)る者は覇なり。徳を以て仁を行う者は王たり」という一説があります。
その意味は、兵力などで天下をとり表面だけ仁者をよそおう覇道の政治を行うのが覇者である。仁義(慈しみの心と不正を憎む心)という徳をもって王道の政治を行うのが真の王者である、というのです。その根本には、どんな言葉を使おうとも自分の権力や利益を優先しているが、国民の幸福と世界の平和を願っているか、の違いがあります。
今回は、戦争に関連する中国古典として、老子、論語、孟子の説くところをご紹介しました。これらの思想が生まれた春秋戦国時代は、戦争に明け暮れて国民がとても苦しん時代であるからこそ、平和を願う強い願いが浮きぼりになっています。
専制政治による危機が迫っている時代だからこそ、政治家も企業経営者も地位や権力そして利益に目をくらませることなく、「王道の政治」「王道の経営」を実践していかねばなりません。