自然と付き合うためのルールはたった一つ。単純に、次の年を考えてやることだけ
俳優の柳生博さんの訃報を知る前日、なぜか本棚から柳生さんの著書『森と暮らす、森に学ぶ』を引っ張り出して読んでいた。その生き方に感銘を受けていた最中だったから、ショックだった。
八ヶ岳に拓いた雑木林で暮らし、森と人との憩いの場「八ヶ岳倶楽部」のオーナーとして、自然との共存共栄を発信し続けた柳生さん。森に学んだという柳生さんの言葉は、森の声そのもののように思う。これもそのひとつ。
NPB史上28年ぶりに完全試合を達成した、千葉ロッテマリーンズの佐々木郎希選手に注目が集まっている。
「令和の怪物」と称され、大谷翔平選手も期待を寄せる佐々木選手の並外れた投球と完璧なフォームは、彼のバツグンの野球センスが土台となっていることはまちがいない。
だが、彼がこれほど注目を浴びたのは、そのセンスを健全に育てた育成方法にある。
高校野球の選抜予選の決勝で、國保陽平監督は佐々木選手の故障を防ぐため投げさせなかった。 その判断に対し、佐々木選手は悔し涙を流した。世間からのバッシングも多かった。
が、結果的に監督の判断は間違ってはいなかった。というより、先見の明の判断だったことは結果に現れている。
これまでのスポーツの常識を覆す「待つ」という育成法。
佐々木選手がモデルケースとなり、他のスポーツにも取り入れようという動きがある。
自然界に目を転ずると、「待つ」ことは当然のこと。
どんな生きものも育つまでには時間がかかるし、そのときのことだけを考えてすべてを使い果たしては生命をつなぐことはできない。
柳生博さんは、自然のルールを教える。
「山菜を採るにしても根こそぎ採ってしまっては、次の年、もう生えてこないのです。自然と付き合うためのルールはたった一つ。単純に、次の年を考えてやることだけ」
この単純なルールさえも人間は忘れてしまったのだと、生前の柳生さんは嘆いていた。
小さなルール違反が積もり積もった結果、人間は山から締め出しをくってしまった、と。
これは自然界だけでなく、人間社会のルールにおいても言えることだろう。
とりわけ、まだ幼い子どもたちの心身は純粋で未熟ゆえに、大人が作り出した常識で壊されやすい。
次の年も、また次の年も、元気な姿をみせてくれることを願って……。
そうやって新しい生命を守り育てることが、全体の発展につながり、まわりまわって自分自身をも守ることになるのだ。
今回は「手向草」を紹介。
「手向草(たむけぐさ)」とは、桜、松、すみれの異称です。花を手向ける、供物を手向ける、神仏や死者の魂へささげものを差し出す仕草を「手向ける」と言いますが、手向草はその品々のこと。続きは……。
(220503 第792回)