君がどんな人でもいい、夕べがきたら 知り尽くした部屋から、出てみたまえ。
オーストリアの詩人、リルケの言葉だ。生野幸吉訳の『リルケ詩集』で見つけた。目次の後のページを開くと、「序詞」のこの冒頭が目に飛び込んでくる。ここでもうノックアウト。リルケの世界に引き摺り込まれる。
― 序詞 ―
君がどんな人でもいい、夕べがきたら
知り尽くした部屋から、出てみたまえ。
遠い景色の前に立つ君の住まいが、最後の家になる。
君がどんな人でもいい、
踏み減らした敷居から、
ほとんど離れようとせぬ疲れた眼で、
おもむろに君は一本の黒い木を高め、
それを大空の前に立たせる、ほっそりと孤独に。
こうして君は世界を造った。
その世界は偉大で、
沈黙のうちにみのることばのようだ。
そして君の意思が、その意味をつかむにつれて、
君の眼は、やさしくその世界を放す。
ふと我にかえると、自分の殻に閉じこもっていることがある。
他を受けつけず、意地を張り、どこまでも頑固に我を通そうとする。
場合によっては、それも必要だろう。
でも、ずっとそのままではもったいない。
人は自我というものを手に入れたときから自分好みの城を築き、その場所と、そこから見える景色だけが世界だと思ってしまう。
世界はもっと広く、果てしなく大きいというのに。
「君がどんな人でもいい」とリルケは前置きをして、とにかく見慣れた場所から外に出てみてはどうかと提案する。
外の世界を知れば、自分というものがはっきりわかる。
その時ようやく、自分は自分から解放される。
今回は「やらずの雨」を紹介。
その場にとどまるよう、訪れた人を引き止めるかのように降ったり止んだりと降りつづける雨が「や(遣)らずの雨」です。続きは……。
(220530 第796回)