通貨の価値は使い方によって測られる。量ではない。
経済誌『フォーブス』の発行人、マルコム・フォーブスの言葉だ。創刊者の父親の後を引き継いだ彼は、もともと政界の人だったという。パーティー好き、美術品や飛行機、バイク、ヨットなどの熱心なコレクターとしても有名で、フランスの城も保有している。ギャッツビーを彷彿させる豪華なライフスタイルと、この言葉は一見ミスマッチのような気もするが、「それゆえ」という感もある。
健康ブームの煽りをうけてか、ここ数年、白米よりも玄米や雑穀米を好んで食べる人が増えたようだ。外食店でも白米か玄米、雑穀米を選べるところもある。
スーパーでも、米に混ぜて炊くだけの雑穀商品がいろいろ揃っている。が、それらはたいがい米よりも値段が高い。無農薬など、質がよければなおさらである。
考えてみれば、昔は米のほうが貴重だった。その頃は雑穀があたりまえだったから、流通価格も米より安かっただろう。
「価格」というのは、そういうものだ。
なかなか手に入らないものは、値段も上がる。
ところが、おなじものでも量が増えれば値段は下がる。
「価格」は人の求めに応じて上がったり下がったりするのだし、それを人は受け入れる。
だが「価値」はちがう。
価値を決めるのは自分だ。
値段が高かろう低かろうが、自分にとって必要なければ価値はないも同然。
フォーブス氏の言葉も納得がいく。
「通貨」を「モノ」に置き換えてみればいい。
モノの価値は使い方によって測られる。量ではない。
これは人生にも当てはまる。
人生の価値は生き方による。寿命ではない。
だとすれば、自分の人生に価値を与えなければ。
人生に納得のいく価値を与えるためにできることは、自分で自分の価値を高めること。
学び、教養を身につけ、自分の価値を高めるのだ。
他人目線ではなく、自分で自分を誇れるように。
アインシュタインも言っている。
「人生を生きる価値のあるものにするんだよ」
今回は「心葉」を紹介。
心葉とは、「心」あるいは「心ばえ」のこと。あふれる想いや感情のことです。そのむかし、人は鳥のように音をつなげた歌で意思の疎通をしていたといいます。続きは……。
(220719 第803回)