われわれが利用できる資源のうちで、たえず成長と発展を期待できる唯一のものは、人間の能力のみである
マネジメントの分野においても、あるいは自己啓発の分野においても根強いファンをもつ経営学者のピーター・ドラッカー。「社会生態学者」と名乗っていたというだけあって、一言一句、納得がいく。この名言も、そのひとつ。
水、森林、石油、鉱物、海洋……天然資源と呼ばれるものが、今なお失われ続けている。
かたちあるものは失われるとは言うものの、枯渇するほど使い続けるのはどうしたものか。
使うなら、頭を使おう。
ドラッカーの言うように。
人間の能力は、いまだ未知数だと言われている。
脳科学分野のめざましい発展により、「歳をとって物忘れがひどくなった」という言葉も、もう言い訳にはならない。
できないことは仕方ないにしても、できることまでしなくなるのは、自分で自分の生命力を奪っているようなもの。
限りある資源を無駄使いして。
限りある資源を奪うのではなく、未知数な資源を掘り起こそう。
明治の思想家、高山樗牛も言っている。
「自分の立つ足元を深く掘れ、そこに必ず泉がある」と。
「農聖」と称された秋田県の農業指導者であった石川理之助も、
「井戸を掘るなら、水が湧くまで深く掘れ」と言ったそうだ。
あちこち彷徨って無駄に穴をあけるより、一度立ち止まって、立っているその場所を、下へ下へ、深く深く掘ってみよう。
そこから湧き出た水は、乾いた喉を潤してくれる。
深ければ深いほど、透明で綺麗な水が湧き出てくるのだから。
人やものに期待するより、自分自身に期待しよう。
今回は「草紅葉」を紹介。
童謡『真っ赤な秋』の影響でしょうか。「もみじ」と聞くと、赤く色づいた楓の葉が浮かびます。幼い頃は、これだけが「もみじ」だと思っていましたが、ちがうのですね。続きは……。
(221004 第814回)