いい一日ではなく、本物の一日を送って。自分に正直な一日を送るのよ
映画『あなたの旅立ち、綴ります』の中で、シャーリー・マクレーン演じるハリエット・ローラーが語った言葉だ。自信家で嫌われ者のハリエットは、あることをきっかけに人生の終活をするのだが、映画の後半、余命わずかと知ったハリエットが、担当するラジオ音楽番組で視聴者に向けてこう語るのだ。恐怖を恐れず生ききるには、どんな風に過ごせばいいかということを。
「今日もよい一日を」
他人にも自分にも、何気なくよく使うフレーズだろう。
しかし、「よい一日」とは、何がどういいのか。
あいまいで、ともすると「ああ、きょうは悪い一日だった」と落ち込むことにもなりかねない。
せっかく訪れた新しい一日を「良い」「悪い」と区別してしまうのは、なにごとも起こらないようにと恐る恐る生きているからではないだろうか。
自分にとって利のあることなら「良」とし、害のあることは「悪」とする。
だれもが自然にやっていることだ。
一日を損得で計り、気がつけば、人生がすべて損得勘定で出来上がってしまい、あるときふと、「こんな生き方でいいのだろうか」と我に返る。
そして、人生の後半に入ってようやく、生きるとはなにか、自分とはなにか、と問い正す。
今や、国も性別も年齢も関係なく、世界中で起こっている現象だろう。
そんな彼らに、ハリエットは言う。
「いい一日を送らず、本物の一日を送って。
自分に正直な一日を送るのよ。
いい一日なんて、みじめなだけ。
それが私の意見よ。忘れないで。
家事や宿題をするときも。運転や遊びや仕事をするときも、意味のある一日を送って」
地球まるごと機械化しそうな現代、AIやVRの発展はすさまじい。
神の領域である生命の生死までコントロールできるのも、そう遠くはないと新聞にあった。
古今東西、人類が願ってやまない不老不死。
それが、現実になりそうだというのだ。
しかしそれは、新たな問題の引き金にもなると。
死へのさらなる恐怖、引きこもり、経験の陳腐化……。
おそらく、「新たな一日」のありがたみなど、感じることもないだろう。
人生は終わりがあるからこそ、一日一日がよりいっそう輝くのだ。
いい一日じゃなくてもいい。
せいいっぱい、本物の一日を生きよう。
風を感じ、呼吸に耳をすます。
心臓の鼓動が刻む今このときは、ヴァーチャルではないのだから。
めでたく新しい年が明けました。
みなさまにとって輝く一年となりますように。
今回は「やんわり」を紹介。
他国語と日本語の大きなちがいといえば、漢字、カタカナ、ひらがな、ときにはローマ字と、文字の種類が多いことでしょうか。続きは……。
(230110 第827回)