心で花を狩るという構図で仕事をしたのです
版画家、棟方志功の言葉である。作品・文集『棟方志功ヨロコビノウタ』の中の、1954年に製板された『華狩頌』という作品に添えられている。鳥や獣がいる花咲く森の中で、武器を持たず馬に乗って狩猟をする古代人を描いた作品だ。
棟方は自己中心的だった若かりし頃、柳宗悦から意識された自己を消すことを教えられた。試行錯誤しながら研鑽するなかで、広大な仏の世界に目覚めたときからその芸術は大きく変貌したという。
「心で花を狩る」とはどういうことか。
棟方いわく、「心で射止める」ことらしい。
―― 花を狩るこころおもいで版画しました。
けものを狩るには、弓とか鉄砲とかを使うけれども、
花だと、心で花を狩る。
きれいな心の世界で美を射止めること、
人間でも何でも同じでしょうが、心を射とめる仕事、
そういうものを、いいなあと思い、
弓を持たせない、鉄砲を持たせない、
心で花を狩るという構図で仕事をしたのです……
狩りや戦さに武器はつきものである。
世界で起こっている戦争や紛争で、どれだけの人びとが武器の前に倒れただろう。
傷つき、命を奪う武器に「きれいな心の世界」は見出せない。
やさしさや思いやり、喜びやおおらかな広い心という「真実の愛」は、感じられない。
弓や鉄砲だけが武器ではない。
今はむしろ、それ以上に危険な「言葉」という武器であふれている。
数でいえば猟師や兵士よりもはるかに多い、ふつうの顔をした人たちが、いちばん危険な武器を、密かに懐にしまっているのだ。
なに食わぬ顔をして。
傷つけ、争い合う未来に、喜びはない。
幸せはない。
射止めるなら、武器ではなく心で射止めたい。
きれいな心の世界で、美と愛のミューズを射止めるのだ。
美と愛のミューズの心を射とめる仕事。
そういうものを、いいなあと、わたしも思う。
今回は「雪中花」を紹介。
白い6枚の花弁に、黄色い盃をのせた水仙。雪に覆われた土のなかで、いちはやく春のぬくもりを感じとって小さな花を咲かせるこの花は、江戸時代までは「雪中花(せっちゅうか)」と呼ばれていました。続きは……。
(230217 第831回)