良いものは人に振る舞いを求める
世界的に知られる椅子研究家の織田憲嗣さんの言葉だ。某新聞の特別面で紹介されていた織田さんの暮らしの文面で見つけた。高島屋勤務を経て独立後、グラフィックデザイナーなどの仕事をしていたという織田さん。仕事の傍らに蒐集した家具や食器、図面資料など、気がつけば名作品に囲まれる暮らしになっていたという。いいモノがいいモノを呼び寄せたのだろう。
名作家具とともに暮らす織田さんの暮らしは、一見華やかだが、それは単に贅を尽くしたという華やかさではない。
ましてや格好だけ、形だけというものでもない。
そこにはちゃんと、織田さんの名作品に対する思いがある。
あふれんばかりの愛情と敬意があるのだ。
名品の椅子やテーブル、照明などには、それにふさわしい場所を用意し、彼らが生かされる演出をする。
本一冊、クッションひとつ、調度品ひとつとして、粗末にはあつかわない。
彼らの存在を慈しみ、大切に扱う。
新聞の文面によると、
「日々の暮らしでは、整理整頓を心がけて、『見せる』『そっと置く』『しまう』『隠す』を徹底。それぞれの造形美を生かしながら、全体を心地よくまとめている」
と、ある。
コレクションに北欧デザインのものが多いのは、「生活者の視点」から生み出されたものが多いから。
デザイナーや職人も一人の生活者。一点一点にそんな文化や思想が反映さて、使いやすく機能的で、飽きがこないという。
日常の美が大切にされてきた歴史を感じるのだと。
それを読んで、かつての日本にも「民藝」という「用の美」を推奨した文化があることを思った。今の日本に、それはあるだろうか……とも。
織田さんは言う。
「ファスト文化が加速し、間に合わせのものに囲まれている。今一度、立ち止まってほしい」と。
吟味して手に入れたものは大事にする。手入れもするし、使い続けようと思う。そうやって愛着が生まれ、深まってゆく。
「良いものは人に振る舞いを求める。
より、丁寧に、より美しい暮らしが実現する」
高貴な人を前にしたら、自然と頭も下がる。
失礼な振る舞いなど、もってのほかだ。
人がモノを選ぶのではない。
モノが人を選ぶのだ。
「わたしにふさわしい人は、あなただ」と。
今回は「雪中花」を紹介。
白い6枚の花弁に、黄色い盃をのせた水仙。雪に覆われた土のなかで、いちはやく春のぬくもりを感じとって小さな花を咲かせるこの花は、江戸時代までは「雪中花(せっちゅうか)」と呼ばれていました。続きは……。
(230303 第832回)