ボクシングは目的ではなく一つのツール、自分自身と向き合う旅
元世界ボクシング協会ミドル級王者、村田諒太氏が現役引退の表明をした。某新聞でそのことを見知った。失礼だとは思うが、当欄を閲覧してくださっている読者の方々にも知って欲しくて、言葉の断片を切り張りさせてもらった。
村田さんは「闘う哲学者」とも呼ばれていたらしい。以前、本欄でも少し、彼の知性の素晴らしさに触れたことがある。6年前のことだ。
彼には座右の銘がある。アメリカの神学者、ラインホールド・ニーバーの言葉である。
「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」
自分自身と向き合う旅で、どれほどこの言葉を噛み締めたことだろう。
2017年から19年のあいだ、幾度となく繰り返された王者の奪い合い。その一戦一戦によって村田選手の魂は磨かれ、より高みへと登っていった。後に待ち受けていたプロボクサーとしての限界は、彼に、また別の、新たな扉を開くことを求めたのかもしれない。
英語のことわざにある。
When one door closes, another door opens.
(ひとつの扉が閉まるとき、別のドアが開く)
「ボクシング人生で気づいたことは、自分が思ったよりも強く、思ったよりも弱く、美しい部分があり、醜い部分もあった」
自分自身と向き合うことで、そういうものを見ることができたと、村田さんは振り返る。
日本が誇る思想家で哲学者の安岡正篤は、人生において、もっとも大切で重要なことの第一に、「我を知る」ことを据えている。愛読書であった中国古典から学んだ要諦と、自身の学問信仰を記した著書『百朝集』の第一項は「我」である。その最後を、安岡はこう締めくくっている。
「われわれはみな我が名を知っておるが、その我そのものを知っておるだろうか」
自分を知るのは、他者を知るよりむずかしい。
他者と関わり、その違いを知ってこそ、はじめて本当の自分が見えてくる。
強さも、弱さも、美しさも、醜さもすべて。
それを受け入れた時、新たな扉が開かれる。
他者と出会い、ようやく本当の自分と出会う。
そこからが、本来の「人生の使命」のはじまりだろう。
今回は「立振舞」を紹介。
美しいことば、というより、美しい所作、と言ったほうがいいでしょうか。「立振舞(たちふるまい)」、あるいは「立居振舞」。この言葉には、どうしても「美しさ」が付きまとうような気がします。続きは……。
(230406 第836回)