大きな細胞というのは、自分ひとりで生きていくのが難しい細胞なのです
読了後、さほど時を置かずして、ふたたび手に取った養老孟司氏の著書『バカの壁』。ふと目に止まったのが、この一文である。1度目はまったくスルーしていた。人間というのは、所詮そんなものである。
人生も半ばを過ぎ、歳を重ねるごとにしみじみ思うのは、
「よくぞここまで生きてきたな」ということと、
「いろんな人に助けられ、支えられてきたのだな」ということ。
そんなとき、歳を取るのも悪くはないな、とつくづく思う。
若い頃にはわからなかったこと、気づかなかったことも、歳を取ってようやく「ああ、そうだったのか」と、身をもってわかる瞬間がある。
些細なことから重大なことまで、これまでの体験の意味がどっと押し寄せてきて、今この地点に立っている理由がなんとなくわかるような気がするのだ。
と同時に、情けなさや恥ずかしさ、悔恨の念がうずまき、「なんと愚かな人間か」と、自分を責めてしまうことも。
だが、そこに気づいたことに大きな感動と悦びを覚えることもたしかで、がんじがらめの糸が解けてゆくように、全身の力が抜け、心がほぐれてゆくのを感じる。
そうしてようやく、生きることが楽に、楽しくなってゆく。
養老さんが言うには、人の脳に個人差はあまりないそうで、特殊な能力というのも、脳を調べてもわからないという。
理由のひとつは、脳の調べ方が一種のタブーであること。もうひとつは、脳は非常に均質だということ。
解剖生理学によれば、人の脳の差異はほとんどなく、脳を構成しているのは神経細胞とグリア細胞、血管の3つだけ。
中でも神経細胞はかなり大きな細胞で、それをサポートするのがグリア細胞だという。
「大きな細胞というのはタマゴもそうですけれど、栄養をとるとか、自分ひとりで生きていくのが難しい細胞なのです。それで、周りに補助的な細胞が張り付いている。グリアは脳の機能として直接には何もしておらず、神経細胞を生かすために働いているものです」
なるほどそうか。
脳のしくみも、人生のしくみも、社会のしくみも、おなじかもしれない。
もっと言えば、家族も、会社も、街も、国も、
この世のしくみは、脳のしくみと、なんとなく似ているような気がする。
大きなものほど、単体では生きていけない。
大きなものは小さなものに、小さなものは大きなものに依存しながら、支え合って生きている。
やっぱり、そうなんだな・・・。
ちなみに、近年の研究では、脇役だったグリア細胞も神経細胞と似たような働きをしていることも明らかになっているそうですよ。
今回は「立振舞」を紹介。
美しいことば、というより、美しい所作、と言ったほうがいいでしょうか。「立振舞(たちふるまい)」、あるいは「立居振舞」。この言葉には、どうしても「美しさ」が付きまとうような気がします。続きは……。
(230418 第837回)