演奏者が「音楽に救われた」体験をしなければ、聴き手を「音楽で救う」ことはできません
国際的に活躍するバイオリニスト、五嶋みどりさんの言葉を紹介。某新聞の記事でみつけた。音楽の才能に恵まれ、幼い頃から英才教育を受け、11歳でニューヨーク・フィルと共演してプロデビューした五嶋さんの、「今」の姿に心打たれた。
表舞台から姿が見えなくなって長い。その間の苦悩の日々と再生の物語を知り、納得した。彼女は心から音楽を愛しているのだと。
愛することは、なかなか大変である。
たんに「好き」だけではすまされない。
愛することは、ときに厳しさも必要で、ともすれば、愛が憎しみに変わることもある。
愛するがゆえに、その存在に反発を覚え、遠ざかろうとしてしまう。
そして、遠ざかって気づく。
やっぱり離れられない、大切な存在だと。
「ある時、私と同じ経験をした若い音楽家が、『音楽をやっていて本当に救われたと実感した』と言っていました。
演奏者が『音楽に救われた』体験をしなければ、聴き手を『音楽で救う』ことはできません」
厳しい音楽教育を受けた五嶋さんにとって、音楽はときに自分を苦しめる存在だったこともあるだろう。
しかし、その苦しみから救ったのもまた、「音楽」だったはずだ。
持って生まれた音楽の才能に支えられる一方で、傷つき、苦しみ、人生の大半を自分の分身のような「音楽」と対峙せざるを得なかった五嶋さん。
長い長い問答の末の、和解であったにちがいない。
「音楽は音楽を愛する人の心の中に存在します。音楽は場所を選ばない。……
私はアイザック・スターンやレナード・バーンスタインといった偉大な音楽家から、たくさんのことを学びました。
『音楽は自分以外のすべての対象者とフィフティー・フィフティーの関係が理想で、相互理解、歩み寄りが必須だ』と」
音楽に支えられ救われた自分は、音楽家としてではなく、一市民として、世の中のために何ができるのか。
感情で物事を決めたくない。
自分の「好み」ではなく、人と人を結ぶリング(輪)になりたい。
そう五嶋さんは語る。
切っても切れない深い縁で結ばれた、音楽と五嶋さん。
同行二人で歩む彼女のように、大なり小なり、だれもがきっと支えられ救われている「杖」があるはず。
それに気づけば、その杖はミラクルを起こす「魔法の杖」になるだろう。
今回は「立振舞」を紹介。
美しいことば、というより、美しい所作、と言ったほうがいいでしょうか。「立振舞(たちふるまい)」、あるいは「立居振舞」。この言葉には、どうしても「美しさ」が付きまとうような気がします。続きは……。
(230424 第838回)