子どもたちと一緒に学びながら、「何が最善か?」という答えを日々探しています
高校野球の名門、智弁和歌山高校の中谷仁監督の言葉だ。スポーツ雑誌『Nunber』で、仙台育英高校の須江航監督との対談にあった。この対談、なかなか興味深い内容だった。
子どもが大人の真似をして物事を覚え、成長していくのは、人間も動物も同じだろう。
「学ぶ」とは、「真似(まね)ぶ」ことなのだ。
その「真似ぶ(学ぶ)」対象であるはずの大人は、はたしてその役割を果たせているだろうか。
中谷監督と須江監督との対談のなかに、現代の子どもたちの、大人への視線が語られていた。
長く続いたコロナ渦での様子だった。理不尽な状況に苦い涙をのんだのは、大人よりも成長真っ只中の子どもたちだと。
「なんで僕らはまともに部活もできないのに、大人はお酒飲んだり、旅行できるんですか?」と、子どもたちは大人たちへの不信感を募らせていた。
ただ彼らも、教育、経済、それぞれに正義があり、正解がひとつではないのは理解していた。
それでも、大人の説得力に欠けた決定や振る舞いが多すぎた。
だから、上からものを言うのが申し訳なかったと、須江監督は当時を振り返っていた。
子どもたちには、子どもたちなりの意見がある。
今はもうすっかり大人になっているはずの、「おじさん」「おばさん」にも経験があるはず。
「大人になれば君たちも……」という問題ではない。
自分たちが嫌だと思った大人の姿に、自らを貶めてはいないだろうか。
「4番バッターだ、キャプテンだと言っても、その責任を背負う選手自身は、チームメートから『人には言うくせに、自分はやってへんやん』みたいな目で見られることにすごく敏感になっていると思う。だから、厳しくするというより、『社会に出ても必要とされる人材を目指そうよ。そのためには……』と、説くことが多くなったような気がします」
と、中谷監督。
なんだか、耳が痛いような話題。
「大人は偉そうなこと言うくせに、なんにもできてへんやん」
と、言われているようで……。
中谷監督は子どもたちに、失敗も含めた経験談を話し、昔と今の区別をせずに、さまざまな選択肢を与える。その中で子どもたちとともに学び、「何が最善か?」の答えを日々探求する。
その姿勢は、子どもたちの眼に「信用できる大人」として映っているにちがいない。
よくよく思う。
子どもの視線に、大人は大切なことを学び直すものだ、と。
今回は「立振舞」を紹介。
美しいことば、というより、美しい所作、と言ったほうがいいでしょうか。「立振舞(たちふるまい)」、あるいは「立居振舞」。この言葉には、どうしても「美しさ」が付きまとうような気がします。続きは……。
(230430 第839回)