下問を恥じず
『論語』の一節、「敏にして学を好み、下問を恥じず」を取り上げた。生前、評判の悪かった孔圉(こうぎょ)の死後の諡(おくりな)が「孔文子」と立派になっていることを、子貢が師の孔子に質問したときに答えた言葉がこれである。
―― 子貢問うて曰く、孔文子何をもってこれを文と謂うやと。子曰く、敏にして学を好み、下問を恥じず。これをもって文と謂うなり。
たとえ孔文子によくない点があるにせよ、賞揚すべき長所もある。明敏な人の多くは、才能にたよるばかりで学を好まず、地位の高い人は、一般的に驕慢で人に教えを乞うことを好まないのに、彼は一国の高官でありながら、身分の低い人にも質問することを恥じなかった。
ゆえに、「学を勤め問を好む」という善行によって「文」という名を贈られたのだ。
と、孔子は子貢の問いに応えた。
地位や財産を手に入れた人でなくても、人は歳を重ねると物を尋ねなくなるものだ。
知識や経験にしばられて、頭も心も頑固になるのだろう。
とりわけ自分より若い人や立場の低い人に対して、見下したり偉ぶる傾向がある。
しかし、ほんとうに人間的に大きな人は、下問を恥じることがない。
立場や地位、年齢にかかわらず、知らないことがあれば、どんな相手であろうと素直に、謙虚に教えを請う。
歴史に名を残した多くの偉人賢人たちはもとより、ビジネスでもスポーツでも、どの世界でも、真の成功者たちは「敏にして学を好み、下問を恥じ」ない人だろう。
前回取り上げた元プロボクサーの村田諒太さんは、引退会見でこう答えている。
―― ひとつのジャンルでピラミッド構造の頂点に立った人物は横に人がいない。世の中の社長さんってみんなそうだと思う。そのピラミッドの上にいる人たちってどうしてもくっつきやすい。そこから違う業界にジャンプして、バタっとなるのはよくあること。僕自身は1回山を下りて、イチからやるつもりでないと、その山は上れない。たまたまジャンプして、うまくいく可能性は低い。ジャンプしてしまいがちな自分を自重するためにも、そういう勉強をしている。
(スポニチSponiti Annexよりhttps://www.sponichi.co.jp/battle/news/2023/03/28/kiji/20230328s00021000373000c.html)
上に行けば行くほど、その風景は絶景だろう。
しかし、だからこそ、下界の風景を忘れがちになる。
山の天辺にひろがる空は、果てしなく広い。
頂点にたどり着いた人だからこそ、マクロとミクロの世界は一続きであることを知っている。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
自戒を込めて。
いつまでも、敏にして学を好み、下問を恥じず。
実ほど、頭を垂れたい、稲穂のように……。
今回は「万緑」を紹介。
目に青葉山ほととぎす初鰹……と、思わず口づさんでしまう初夏。字面からも、なんとなく想像がつくでしょう。見わたすかぎり青々と緑が生い茂った景色が「万緑」です。続きは……。
(230629 第845回)