負くるを知らざれば害その身に至る。及ばざるは過ぎたるより勝れり
知勇をめぐらす傑物が群雄割拠した戦国時代、最終的な勝者になるのは天文学的な確率であろうが、それを仕留めたのは、家康であった。
そんな家康の真骨頂が、この言葉に表れている。
曰く、負けを知らない者は大きな代償を払うことになる。自分の非力さを知っている人は優秀すぎる人より勝っている、ということだろう。
よく言われるように、家康の最大の武器は「学ぶ力」だった。20年以上も臣従せざるをえなかった信長や三方ヶ原の戦いでこてんぱんに打ち負かされた信玄らから、彼はとても大切なことを学んだ。とりわけ人間をあらゆる角度から見て大局的な判断を下す術は、天下分け目の戦いやその後の江戸幕府開府、そして豊臣家への対処に十全に活かされた。
ここで重要なのは、学びのテキストになりえるような人間と交わっているかどうか。「類は人を呼ぶ」。いま、自分が深く関わっている人たちを見ると、自分が写し鏡のように見える。
また、家康は己の器量を知っていたがために、苦言を呈する人を遠ざけなかった。周囲をイエスマンばかりで固める人物は、やがて落日の憂き目に遭う。これは世のならいである。
そう考えると、若くして成功者になってしまった人が、その後、没落していく様は理にかなっているということか。間違っても大谷翔平はそういう道をたどることはないだろう。なぜなら、彼はいまだに自分に満足していないはず。理想を高みに置いているから、自分の至らなさを知ってる(はず)。家康と大谷翔平、容姿はまるで異なるが、人間のタイプは同じだと思う。
(241121 第868回)
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