人が「美」をつくったのではない。「美」すなわち美しいと感じる「心」が人間をつくったのです
ニューヨークを拠点に活躍する日本画家・千住博著『美は時を超える』から。
「美」とはなにか、と考えることがある。美の概念はきわめて曖昧で、個々人の感性によっても著しく変わる。袋小路に陥ると、次のやりとりを思い出す。
「どうしてあの山は美しいのですか」
「それはあの山を美しいと感じるあなたの心が美しいからです」
つまり、この世に絶対的な美などないと言っているのだ。美とはあくまでも、なにかにふれたときに感じる心の揺れであると。
千住博氏の言葉は、それをさらに一歩進めている。美しいと感じる心が人間をつくったのだ、と。だとすれば、美を感じない人は人間ではないともいえる。かなり厳しい見方だが……。
ひとつ、はっきり言えることは、なにかを美しいと感じるには、それ相応の感性が要るということ。生来それが備わっている人もいれば、後天的に養う人もいるが、〝共鳴装置〟を持たない人にいくら美しいものを見せても無駄であろう。例えば、一枚の絵画をトランプ大統領に見せたとする。彼ならこう訊くだろう。
「ところでこの絵はいくらで買ったんだ? いくらで売れるんだ?」
買った値より高値で売れない絵など、彼にとって紙くず同然であるにちがいない。
……と、ヘンなところでトランプ氏にご登場願ったが、言いたかったことは、あるものを美しいと感じる心は金で買えないということ。虚心坦懐に感性を育む以外にない。
(250309 第875回)
髙久多樂の新刊『紺碧の将』発売中
https://www.compass-point.jp/book/konpeki.html
本サイトの髙久の連載記事