知新の用を離れて古書を読むのは、要はおぼつかなし。温故の為に温故して、其の古びにかぶれ、想も文教もかびくさくなりゆく。気の毒なり。
坪内逍遙
坪内逍遙のこの言葉を目にしたとき、その意図することは十二分に理解しながらも、やはり苦笑せざるをえなかった。なにせ筆者も「温故の為に温故して、其の古びにかぶれ・・・」と坪内の揶揄する読書に耽っていた時期があったからである(いまも怪しいのであるが)。
もっとも「知新」のために読書をしなければならないという義務はもちろんなくて、どういう読み方をしようと構わないはずだ。「何かの効用を求めて文章を読むのでは著者の真意を捉えられない」とは小林秀雄の言である。
坪内の格言は、温故を目的とするのはともかくも、それに没頭するあまり知新の機会を見逃すのはもったいないぞという忠告と解釈しよう。
(120715第42回)