世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る
坂本龍馬が遺した言葉のなかでもっとも有名な句だ。
暗殺された龍馬には、正確な意味での辞世の句はないが、この一句は波瀾万丈の生きざまを見事に言い表している。
この句を声に出して詠むだけで、龍馬の威風堂々たる立ち姿が脳裏に浮かびあがってくるようだ。
「人がわかってくれなくても、自分がわかっていればそれでいいのだ」
一見すると無責任で利己的な生き方を礼賛するように読めるが、決してそうではない。
それは龍馬の生涯をたどればわかる。日本という国を想い、日本を洗濯するために仕事をした37年の人生は、利他の精神に充ちていた。
利他であるからこそ、人の評価などどうでもよくなるのだ。
逆に考えると、心のどこかで人の評価を気にしてしまい、自分への悪評に感情的な反応を示してしまうならば、その生き方はいまだ利己の域を脱していないということだ。
もちろん、そもそも論として、自分の行動が利他か利己かという評価はとても微妙な問題である。
自分では利己的な行為のつもりが、知らぬうちに誰かを助けていた、なんてこともあるだろう。
自分では利他的な行為のつもりが、ある人にとっては「ありがた迷惑」だったり、傍目には売名や名誉欲を満たすための行動にしか見えないこともあるだろう。
そもそも、「利己で何が悪い」という考え方だってある。
たしかなことは、「一つの行動が正しいか間違いか、良いか悪いかという判断ほど、人により、また時代によってくるくると入れ替わるものはない」ということだ。
おそらく龍馬はそれを悟っていたのではないか。
だからこそ「我なす事は我のみぞ知る」と、自分の信じる道をまっすぐ駆け抜けることができたのだ。
自分が良しと考える判断に基づいて行動し、その責任を取る。その繰り返しが人生であるならば、龍馬にとっての責任は「自らの死」であった。
いろいろと悔いはあっただろうが、しかし、絶命の間際、自分を信じて生き抜いた生涯を誇りに感じたのではないかと筆者は勝手に想像している。
信念に殉ずる生きざまに、人は惚れるのである。
(130618第77回)