私は経営学など勉強したことがない。何冊か手にとって読んだことはあるが、結局その逆をやればいいんだと思った
本田宗一郎の名参謀として影で支え続けた男、藤沢武夫。
「本田」と「ホンダ」を世界に知らしめたのは、藤沢の経営手腕によるものであったことは間違いない。創業から一貫して裏方に徹した姿が多くの人を魅了した。
世界のホンダは、藤沢なくしてありえなかった。
二人三脚で歩み続けた本田と藤沢。二人の退陣劇もまた、伝説となった。
「まあまあだな」(本田)
「まあまあさ」(藤沢)
「幸せだったな」(本田)
「本当に幸せでした。心からお礼を言います」(藤沢)
「おれも礼を言うよ。良い人生だったな」(本田)
テクニック本が必ずしも良書とはかぎらない。かといって、粗雑なものばかりとも言い切れない。大切なのは、そこから何を学ぶかである。
藤沢は、手にした数少ない経営本からその本質をつかんだのだろう。もっと言えば、人生の本質をつかんだのかもしれない。
どんなに優れた哲学であっても、自身の体験から導き出された哲学に優るものはない。だれかや何かから学んだあとは、実践でその効果のほどを試しながらオリジナルの哲学を生み出していく。それが、個性となっていくのだ。
「松明(たいまつ)は自分の手でもて」と藤沢は言う。
どんなに苦しくても、松明は自分の手でもって進まなければならないのだと。
自分の足元を照らすのは、自身が掲げる松明と、互いの松明を消し合うことのない、ともに歩み続ける信頼の置けるパートナーや仲間が掲げる松明の灯りなのだ。
(160224 第169回)