今、自分がここにあるということ。それは、先祖代々の皆さまによって私は生かされているということです
茶道裏千家第15代前家元、千玄室大宗匠。利休居士の子孫である彼は、物心ついたころから母親に「あなたは緑の血を持って生まれてきたのですよ」と言われ、育ったという。
茶道の家元に嫁いだ母親は、夫が点てる茶を毎日飲んでいたのだから、その胎内にいた赤ん坊もまた、茶を味わっていたのだと、ことあるごとに息子に言って聞かせたのだそうだ。
禅語にもある「而今」、「いま、ここ」という言葉は、今の日本社会に広く浸透している。少々、流行りことばになってしまった感もないではないが……。いずれ、この言葉も時代の端に追いやられてしまうのだろうか。
だが、「自分とは何か」を探し求める旅は、人間である以上、永久に終わらないのではないだろうか。古今東西、多くの人びとがその問題に悩まされてきた。偉人たちの功績や残された言葉にも、それは表れている。
今の自分があるのは、まぎれもなく両親や祖父母、それ以前の先祖代々の血が絡み合い、連綿と受け継がれてきたおかげである。
千玄室大宗匠の「緑の血」ならぬ、各人それぞれに流れる「家族の血」には、先祖たちが持ちうる特質、長所や短所すべてが流れているのだ。
自分の長所や短所は父のものであり、母のものである。父や母の長所や短所もまた、そのまま祖父母のものである。
そうやって先祖の特質は受け継がれ、もとをたどると、日本人の特質へとつながる。
長所はさらに高め伸ばすために、短所はいかに克服し良くしていくか。
先人たちは、その思いを子孫たちに託したのだ。
「私を必要としていただいてありがとう。本当に感謝申し上げます」
大宗匠は、毎朝必ずこの思いを読経に込めると言う。
(160227 第170回)