なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
西行
武家に生まれ、鳥羽上皇に仕えるものの、友人の急死により世の無常を知った佐藤義清。
またの名を、西行という。
西行が25歳で出家する際、愛娘を縁から蹴落としたというエピソードは有名である。
恩愛を自ら断ち切る胸の内は断腸の思いであったろう。
家族を捨て、故郷を捨てた西行が辿りついたのは、そんな自分をも快く受け止め、花を咲かせてくれる桜の木の下であった。
「ねがわくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
享年73歳。その願い通り、西行は桜のころに旅立った。
人は誰しもひとつやふたつ、罪らしきものを背負うことはあるだろう。知らぬ間に、人を傷つけ、悲しませてしまうこともあるかもしれない。
ときに道を誤り、間違った方向へ進んでしまうことも。
それでも前を向いて歩まねばならない。迷いながら、軌道修正しながら。
旅の途中、お伊勢参りをした西行は、その神々しさに胸を打たれ、歌を詠んだ。
なにごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる
目には見えないけれど、誰かや何かがいつもそばで見守ってくれている。
そう感じられるだけで、涙がこぼれるほどありがたい。
穏やかに頬をなでる春の風が、その存在の温かさを教えてくれる。
(160320 第177回)