愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である
鋭い刃物を喉元に突き立てるかのようなこの言葉は、『君主論』でお馴染み、マキャヴェリの言葉である。
「目的を達するためには手段を選ばない」という考えが根底に流れていると思われているマキャヴェリの思想は、世間ではあまり人気がないようだが、よくよく読み説いていくと、これほど動乱期のリーダーに適した思想はない。
なぜなら、冷酷とも思える彼の手法は、どれも私利私欲のものではなかったからだ。
マキャヴェリが生きた中世イタリアは、小国に分裂し、領地の奪い合いや、隣接するフランスやスペインからの侵略という戦乱の時代だった。
にもかかわらず、イタリアは自国の軍隊を持たず、傭兵制度に依存して危機感のかけらも持っていなかった。自国を守るため、ぬるま湯に浸かりすぎてふやけている国民を目覚めさせようと、冷水を浴びせたのがマキャヴェリだったのだ。
我が国、日本にも、かつて同じような人物がいた。
大久保利通。人情の人であった西郷隆盛と相反し、非人情的だと思われていた大久保は、我が身を犠牲にし、最期まで国を立て直そうと奔走した。その結果が、嫌われ者のレッテルだったとは。
竹馬の友である西郷も、草葉の陰で泣いていることだろう。最後の最後まで信じて心を許した朋友が、悪名高き為政者として扱われていることに。
西郷と大久保。2人の役割は、互いに了承済みのことだったにちがいない。その上で、西郷は、自分ができなかったことを大久保に託したのだ。
何かを守り得るためには、何かを犠牲にしなければならない。
得るものが大きければ大きいほど、犠牲も大きくなる。
マキャヴェリのこの言葉は自然のありようと同じではないか。
大自然が突然牙をむくことを、われわれは知っている。
だからこそ、自然を畏怖し、畏敬の念を抱くのだ。
マキャヴェリが表明した『君主論』は、危機に瀕した大商人たちが、伝統ある商家を守りぬいた戦略を見聞きしてまとめたものだというのだから、ただの非人情的人間ではないことがわかるだろう。
(160404 第182回)