大勢のなかに自分を埋没させてしまうと、不思議な安堵感があるものだ。しかし、それではきみたちの人格も個性もなくなったと同じことだ
昨年他界した、作家の内海隆一郎氏が我が子へ向けて書き記した『父から娘に贈る「幸福論」』の中の一節である。
内海氏の著書の多くが重版されることなく絶版になっており、インターネット販売ですら手に入りづらくなっている。しかし、悲しいかな、今になって氏の著書に感銘を受けている人が増えているようだ。時代がようやく氏の考察に追いついたということか。
人は本当に素晴らしいものを目の前に差しだされていたとしても、見た目の派手さや流行、簡単に理解できるものでなければ手に取ろうとはしない。今も昔も変わらず。
時間の堆積に耐えられるものが本物だとすれば、時を越えて目にすることができる言葉も本物である。
内海氏が娘に伝え残そうとしたことは、それを見極める力を養いなさいということだろう。
長いものに引きずられて列をなして歩いたり、大きなかたまりの中に身をうずめてしまえば人の目をくらますことはできる。ドラマのワンシーンにもあるだろう。追われている者が大勢の中に逃げ込むという場面が。
しかし、他人の目はだませても自分自身はだませない。
本当の自分は人格も個性もある一人の人間で、ちゃんと感じる心をもっている。
人がいいと思うものが自分にいいとはかぎらない。趣味嗜好はもちろん、学び方も健康法も思想哲学も、あらゆるものすべてにおいて。
他人とちがっていいではないか。自分の心は何を求めているのか。じっくり耳を澄まして聞いてほしい。
(160425 第189回)