人間の悩みは、必要なことをしていないからではなく、不必要なことをしているから生まれるのです
老荘思想研究者である田口佳史氏の言葉である。氏は、25歳のときにタイのバンコク郊外で瀕死の重傷を負い、奇跡的に生還したという。そのときに出会った中国古典思想が生きる道しるべとなり、以降、共に歩むことになる。
中国古典を基盤としたリーダー指導によって多くの経営者や政治家を育てた氏の元に、教えを請いたいと渇望する人たちが全国各地から訪れ、その教えは今や国外へも波及している。
生きていればいろいろなことがある。生きているからこそ、いろいろな出来事に遭遇する。それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、生きていなければ、それすらも感じられない。
風を感じ、太陽の温もりを感じ、雨や雪の冷たさを感じる。生きるとは、感じることなのだろう。
良いこと、悪いこと、美醜、白黒、裏表、内と外、静と動、生と死・・・。
ものごとの一切を区別するのは人間だが、天から見れば、区別するものなどこの世にはないのかもしれない。あるとすれば、それが自然であるかどうか。
無為自然。
全身全霊で心の内を見つめる。すると、そこに人為的ではない流れや空気が見えてくる。それにしたがって生きていけば、自ずと然りの道ができる。
取り越し苦労や過ぎたる事は、不自然極まりない人為的な行為だと、その悩みに感応している自分自身が伝えているのだ。悩むことは自然なことだが、悩みっぱなしは不自然だよ、と。
その悩みを受け止め、どう改善するかが問われているのだろう。
(160501 第191回)