「こころ」はたとえ嫌なことでもがまんできるが、「からだ」ははじめから嘘をつけない
長年、健康雑誌の編集長を務めた原山建郎氏は、人間の身体と精神を「体と心」という漢字ではなく、「からだもこころも、ひらがなで考えよう」と提案する。
からだには「からだ」的側面だけでなく、からだの「こころ」的な側面があり、こころにも「こころ」的側面だけではない、「からだ」的側面があるのだからと。
その発想から生まれたのが、この言葉である。
意識には、顕在意識と潜在意識がある。
いうまでもなく、顕在意識はコントロールできる意識のことを言うのであり、潜在意識は自分でコントロールできない無意識を言っている。
意識は理解しやすく、無意識は心の奥深くに潜んでいるため自分でもそれと気づかないものだと思っていた。
しかし、原山氏は、潜在意識である無意識なこころほど、はっきり目に見えるものはないという。
たしかに、他人の無意識なこころはよく見える。ところが、自分の無意識なこころは何だと聞かれたら、いまいちよくわからない。
と、多くの人は言うだろう。
「からだを傷つけられたとき、こころでは痛さをがまんして表情に出さずにいることはできても、からだはその瞬間から、がまんすることなしに、その痛さや辛さから逃げる動きをしたり、一刻も早くからだを修復へ向かわせようとして行動を開始します」
肩こりしかり、下痢しかり、胃炎、皮膚炎、ガンに至るあらゆる症状は、無意識のこころからのメッセージだと原山氏はいう。
さて、からだに不調なところはないだろうか。
なにか、こころに嘘をついてはいないか。目の前のことから逃げてはいないか。わかっているのに気づかないフリをしてはいないか。
ときおり、自分のからだに見えるこころからのメッセージを聴いてほしい。
(160705 第212回)