人間の一生というものは、自分自身へ到達するための道のりだ
『デミアン』より
ドイツの文学者、ヘルマン・ヘッセの小説『デミアン』からの抜粋。
戦争時代を生き抜き、それまでの価値観が一掃される世の中と自身の人生の転換期が重なった苦悩が、ヘッセを東洋的思想へと導いた。
生と死、光と影、明と暗…。陰陽という相反するもので構成されているこの世の真理を探りながら、ヘッセは物語りの主人公、10歳の少年シンクレールの身を借りて自己探求へと入り込んだにちがいない。
この一節は、まぎれもなくヘッセ自身の体験から生まれた言葉だ。
人はなぜ生きるのか。
生きねばならないのか。
命とは何なのか。
古今東西、多くの人が行き当たるこれらの問いは、人間が生きているかぎり永遠のテーマであるといっても過言ではない。
以前、この欄で紹介した執行草舟氏はこう言っていた。
「何のために生きるかではなく、何のために死ぬのか」と。
死を意識すれば、生はより鮮明になるのだということ。
ヘッセが辿りついた「人間の一生」は、ピリオドを打つまでの長い長いストーリー。起承転結だらけの自分史だったのかもしれない。
だとしたら、ペンを置くそのとき、自分はどういう気分を味わっていたいだろう。
(161122 第258回)