いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることあるまじ
道鏡慧端
正受老人の名で知られる道鏡慧端(どうきょうえたん)の「一日暮らし」の中の一文。
信州松代藩主真田信之の庶子である道鏡は、臨済宗の禅僧であり、白隠慧鶴を悟りへと導いた人物でもある。
「いかほどの苦しみにても、一日と思えば堪え易し。
楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。
親に孝行せぬも、長いと思う故なり。
一日一日と思えば、理屈はあるまじ。
一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。
一生と思うから大そうになり。
一生は長いことと思えども、後のことやら、知る人あるまじ。
死を限りと思えば、一生にはたされ易し。
一大事と申すは、今日、只今の心なり。
それをおろそかにして、翌日あることなし。……」
これ以上、何も言うことはあるまい。
この春場所で、白鵬を破って念願の初優勝を決めた稀勢の里が言っていた。
「一日一日、腐らず我慢してやってきた。必死にやってきたことが、今につながっている」と。
「一日暮らし」とは、今日という日の一期一会を懸命に生きることなのだ。
(170124 第279回)