境遇が人間をつくるのではない。人間が境遇をつくるのだ
19世紀イギリスの政治家、ベンジャミン・ディズレーリの言葉だ。ディズレーリはユダヤ教でありながら保守党内で上り詰め、ビクトリア朝の長い歴史において数多いる首相の中で最もビクトリア女王に寵愛された首相だった。彼は小説家としても知られており、数多くの著書を残している。
自身の出生がイタリアからのユダヤ人移民の家系だったことや、その後のイングランド国教会への改宗など、境遇をものともせずに駆け上がったからこそ得られたあとの喜びは大きかっただろう。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉を思い出した。
昨年12月に他界したノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの著書のタイトルでもある。
不平不満を言わないで、ただただ植物のように、その場所で懸命に花を咲かせる努力をしなさいということだ。
植物は一見、受け身のようにも思えるが、そうではない。
彼らはかなり能動的。
枝葉は太陽の光を求め、根っこは水を求めてどこまでも伸びてゆく
仲間が害虫の被害にあえば、身を守るために毒性の物質をまきちらす。
したたかな生き物なのだ。
置かれた場所で咲く花も、境遇をもろともしない人間も、どちらも責任は転嫁しない。
だからこそ美しい花が咲き、境遇はますます良くなっていく。
良くも悪くも思いは現実になっていくことを、今では知らぬものはいないだろう。
(170307 第293回)