無明を押さえさえすれば、やっていることが面白くなってくると言うことができるのです
小林秀雄
本欄に何度も登場している小林秀雄。彼と数学者の岡潔氏の対談集である『人間の建設』から抜粋した。
日本が誇る天才数学者と近代批評の確立者がそれぞれの知性をぶつけ合い、「人間とは」を追求する。
無明とはなにか。
ある人は無知といい、ある人は自我という。
小我であったり、本能の元でもあるのだそうだ。
要するに、自分勝手に解釈し、それによって行動する、色眼鏡をつけた智恵というのだろうか。
物の本には「正しくない知恵」とか「誤った知恵」とあったが・・・。
禅僧で作家の玄侑宗久氏に言わせると、「だれにもよくわからないから無明なのだ」そうだ。
なるほど、それもそうか。
その無明。
かなしいかな、放っておくと勝手きままに歩きはじめてしまう。
あっちにふらふら、こっちにふらふら。
良寛は、冬の夜の雨を聞くのが好きだったという。
しかし、雨の音を聞いても、はじめはそれほど感じない。
それを何度もじっと聞いていると、そのよさがわかってくるのだと。
小林は言う。
「そういう働きが人にはあるのですね。
雨のよさというものは、無明を押さえなければわからないものだと思います」
なにかをとことん極めたところに、そのものの本当のおもしろさがある。
(170320 第297回)