「したいこと」と「本当にできて、役に立つこと」は違います
長年、「暮らしの手帖」の編集長として活躍した松浦弥太郎は、日々の暮らしの中にころんと落ちている言葉を拾い上げるのがうまい。まるで、手品師がポケットから花を散らすように、空気中でふわふわと漂っている塵やほこりを掴み取って美しいものに変えて見せてくれるよう。
「したいこと」がたくさんあるのはいいことだと思う。
しかし、誰もが、いつでも、どこでも、「したいこと」ばかりができるとは限らない。
「したいこと」をするために「しなければならないこと」は必ずあるのだから。
もっと言えば、「したいこと」が自分に向いているかといったら、そうばかりとは言えない。
自分には向いていないと思っていたことが、意外と性に合ったり、絶対出来ないだろうと思っていたことが出来ることだってある。それがまた、おもしろかったりもする。
簡単にできれば楽しいかもしれないが、大変なことや不便なことはおもしろいのだ。
社会の中での自分の役割を考えたとき、「したいこと」よりも「できること」を考えた方が生きていく上での土台はできるだろうし、「したいこと」ができる環境も整えられる。
「使い道を間違えた道具は、なんの役にも立たないうえ、無理を続けたら道具そのものが壊れてしまいます。道具となった自分が『これならお役にたてますよ』というものを見つけることが、本当の意味での自己主張だと思います」
松浦氏が言うように、自分を道具と見立てて使い道を探ってみてはどうだろう。
社会という道具箱には、どれひとつとして不要なものはないのだから。
ただ、きちんと手入れされているかいないか、それだけである。
(170410 第304回)