心の糧は五感を通して心の底に映る万象を正しゅう判断して蓄えること。これが心に飯を食わすということですな
故、法隆寺の宮大工棟梁、西岡常一の言葉は以前にも本欄で紹介した。ちょっと長いが、西岡棟梁の言葉はいくら紹介してもし足りない。どれもこれもが本質本源、この世の真理を言い当てているようで、八百万の神々が彼に言わせているのではないかと思うほどである。
体の糧はわかりやすい。
何をどれだけ食べるのかと気にする人は多い。
意識の高い人ならなおさらである。
では、心の糧はどうだろう。
もちろん食べ物は心にも影響する。
西岡棟梁の言葉を借りれば、五感は食にも密接に関わっているのだから、当然と言えば当然だ。
「木は動けませんから、芽生えた山の環境によって癖が自然のなかで備わります。
人間は自在に動くことができますし、心が備わっています。この心の動きによって人間に差ができますのや」
木や草花は自力で動くことはできない。
どんな環境であろうと、根を下ろせばそこに適応して生きていくだけ。
それに比べ、人間の体は動くことができるから心も動くのは仕方がない。
動く心をどう扱うのか、またどう動かせばいいのか。
「そやから人間を育てるには、その心をしっかりつかまななりません。けれど、人の心というやつは形が見えませんさかいに難しいんですな」
心の動きに人間としての差ができるというのなら、体の糧を考えるときと同じように、心にも滋養になる糧を選別し、与えていけばいい。
そういうことですよね、西岡さん。
(170502 第311回)