何もかも自然に逆らわないようにしたときに、おのずからなる人生道路があるように思います
大徳寺塔頭徳禅寺長老、立花大亀老師の言葉である。以前にも紹介したが、「あんたのおかげで物ばかりのいやな日本になってしまった。なんとかしてくれ」と松下幸之助に苦言を呈したことで、あの松下政経塾ができたことはご存じだろうか。
なぜ人は自然に逆らおうとするのだろう。
人間も自然の一部と知りながら…。
人の一生を考えると、それもあらかじめ仕組まれたことなのかもしれないとつくづく思う。
自然のままで生まれた赤ん坊が、成長するにつれ、自分以外の「他」を知っていく。
というより、他を知ることで、成長が促されてゆくのだ。
幼年期、青年期、中年期と過ぎ、老年期に入る頃、人はまた自然へと回帰する。
成長の途中で山や谷に翻弄され、道に迷いながらも遅かれ早かれ目的地へとたどり着く。
そうなるようにと導いてくれるのは、天地自然にほかならない。
親が我が子の成長を願うように、天地自然はわれわれ人間の成長を願い、厳しくも温かい眼差しで見守ってくれている。
自然に逆らおうとする反抗期の我が子たちも、必ず気づくときがくるはずと信じながら。
つまずいてもいい。
失敗しても、間違ってもいい。
だいじょうぶ、見守っているから安心して進みなさいと、天地自然はいつもそばで励ましてくれているのだ。
風となり、雲となり、鳥や虫、草木や花、あらゆる自然の姿となって。
与えられるものはすべて、天地自然が目的地へ導こうと差しだしてくれたもの。
意にそぐものもそぐわないものも、愛する我が子の成長を願って与えてくれている。
自然に逆らわないということは、天が与えてくれるものを素直に受け取るということだろう。
(170816 第344回)