あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間として、どんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか。それともやむにやまれぬ本能の訴えなのか。耳を澄まして自分の声を聞くことです
蓮見圭一の小説『水曜の朝、午前三時』より抜粋。このタイトルに見覚えのある、いや、聞き覚えのある人は多いだろう。そう、1960年代を代表するミュージシャン、サイモン&ガーファンクルのデビューアルバムのタイトルと同じ。といっても、歌詞とこの物語の内容に接点はほとんど見当たらない。しかし、よくよく読み進めていくと、文中に接点となりそうな言葉がさりげなく使われていたりする。よーく考えないとわからないが。ヒントは文庫版の解説にある。良い作品だった。
病に冒され亡くなった主人公が遺した4巻の肉声テープ。
それは、自らの人生を振り返る回顧録だった。
愛する我が子に「生きるとは」ということを、文字通り命をかけて伝えた。
人生の最期に何を思うのかは、人それぞれ違う。
共通するものがあるとすれば、
「自分の人生に満足したか」
「思い遺すことはないか」
ということか。
完全な人間がいないのと同じように、完全な人生などない。
人は何かしら後悔や悔恨を遺してこの世を去ってゆく。
それでも最期に「これでよかった」と思うことができたら、それは幸せな人生だったと言えるのではないか。
「生きるとは」を考えるのは、古今東西、変わらない。
先人たちが遺した思想哲学が、それを物語っている。
この主人公が遺した言葉はまさに、先人たちからの問いかけであり、故人たちのこの世に対する名残。
人間に課された命題が「生ききる」ことであるとするなら、時折、この言葉を思い出してほしい。
老いも若きも関係なく、あらゆる世代への問いかけなのだから。
(170822 第346回)