わが上の 九十年を流れたる 月日痕跡(あと)なき ことのやさしさ
陸軍軍人で歌人だった齋藤瀏の娘で、同じく歌人の齋藤史の歌である。二・二六事件で反乱軍を援助したとして禁固5年の刑に服した父の背を見つめながら、激動の時代を生き抜いた齋藤史。我が身の運命とまっすぐに対峙し、その心情を歌に綴った。
年を追うごとに時間の巡りは早くなる。
まるで、時に急かされているかのように目まぐるしい。
子供のころは、あんなにゆっくり進んでいたのに…。
流れゆく年月のはかなさは、歳を重ねるごとに増してゆく。
忘れられない思い出や、忘れたくない思い出、忘れてしまいたい思い出だって、たしかに自分の中にあるのだけれど、どんな思い出も、時とともに薄れていくのを知っているから。
過ぎ去った時間は取り戻せないのだということを。
けれど、すべての過去が今も現実として残っていたらどうだろう。
楽しいことばかりではない過去までが現前にあったとしたら、生きづらくてしかたがない。
昨日までが、最高であっても最低であっても、今日という日は新しい一日。
新しい一日がはじまるからこそ、人は希望をもてる。
それまでの過去を力に変えて。
辛いことも悲しいことも、楽しいことも嬉しいことも、時に癒やされ、熟成されて味わい深くなってゆく。
齋藤史が言うように、痕跡なく流れゆく年月は、安心して生きていけるようにと用意された「時のやさしさ」なのかもしれない。
(170828 第348回)