もし互いに注ぐ愛情が等量でありえないのなら、愛情量が多い方に私はなりたい
W・H・オーデン
アメリカに帰化したイギリスの詩人、W・H・オーデンの詩の一節である。村上春樹が翻訳した『恋しくて』の中の短篇「愛し合う二人に代わって」に出てくる。社会問題を扱い、「30年代詩人」としてブームを巻き起こしたオーデンの熱は、戦後日本の文学青年たちにも飛び火した。
愛情はときに偏り、独りよがりに歩き出してしまうことがある。
愛情が主張しはじめたら要注意。
やがて、与えた愛情のぶんだけ見返りを期待してしまうから。
一人歩きし始めた愛情は、自己愛にすぎないのだ。
愛情を注げば注ぐほど見返りを期待してしまうのは、注いだぶんだけ、こちらの愛情がからっぽになってしまうことを恐れているからだろうか。
けれど、本当の愛情というものは、こんこんと湧き出る泉のように枯れはしない。
体の奥底から湧き出てくるものなのだから。
たとえば我が子へ、たとえば弱き者、小さき者への愛情がそうであるように。
互いに注ぐ愛情は等量だと考えた時点で苦しくなる。
だから、自分の中に眠る愛情の泉を掘り起こそう。
湧き出る愛情ならば、いくら与えたって惜しくもない。
愛情量をいつも満タンにしておけばいい。
そのためにも、自分で自分を愛することを忘れずにいたい。
(170918 第355回)