世の中は、今日よりほかはなかりけり 昨日は過ぎつ 明日は知られず
だれが歌ったか、古の歌だそうだ。禅や仏教に精通する人は、一度は耳にしたことがあるはず。禅語にある「即今」とも通じる。
生きるとはなにか。
生命とはなんなのか。
謎解きのように、今も昔も語られる「生きることの意味」も、昨今は「いま・ここ」がそうなんだと、わかるようなわからないような具合で諭されるようになった。
そうはいっても・・・ねえ。
「昨日食べたごはんはなんだっけ?」と思い出そうとしたり、「明日のスケジュールは・・・」と考えてみたり。
なかなか「いま・ここ」なんて、と思う人もいる(?)かもしれない。
たしかに、今を生きるわれわれは、昨日も生きていた。
そして、何ごともなければきっと、明日も生きているはず。
けれど、「生きる」「生きている」のは、今の今。
現在形を使っていいのは「今」だけ。
「さっき」はもう過去だし、「あとで」は未来だし。
だから、「生きる」も「生命」も、今この瞬間の命の輝きなのだ。
この瞬間を輝かせることこそ、真に生きていると言っていいのではないか。
ガンジーの言葉が思い出される。
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
前回の格言で取り上げた、ウイリアム・ブレイクの「一時の中に永遠を見よ」という言葉にも通じるだろう。
真に今を生きる人の魂は、過去はもちろん、未来も永遠に輝いてゆく。
(170927 第358回)