鉄が使用せずして錆び、水がくさり、また寒中に凍るように、才能も用いずしては損なわれる
人類史上、最も多才な人物といわれるレオナルド・ダヴィンチ。その才能を列挙してみると、絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、地史学、解剖学、植物学など、人間業とは思えない。すべてに通じる緻密な作業は、まさに神の仕業。
人間がもちうる才能を極限まで引き出そうとした彼らしい言葉である。
才能と言ってしまうからややこしい。
「そんな特別なものなんて、もってないよ」と返ってきそうだ。
特別なものだけを才能というのではないのだけれど・・・。
才能だけではない。
人間、まるごと使わなければ錆びてしまうし、放置すればくさってしまう。
頭も体もすべてまるごと。
もともと動く機能があるのに、便利なものに頼りきってしまうから、動くものも動かなくなる。
料理人は包丁を研ぐだろうし、大工も鉋を研ぐだろう。
いいものを作るために、いつでも最高の状態で使えるようにと、手入れは怠らない。
本物の職人は、道具を大事に、大切に扱う。
人間だって同じだ。
たとえ機能は衰えていくとしても、使っていればちゃんと動くし、状態の善し悪しもわかるというもの。
使いながらメンテナンスをしていれば、長く使い続けることはできる。
才能とは、続けること。
「人間」と「神の業」に魅了されたダヴィンチの多才ぶりは、人間の機能をまるごと最大限に生かし続け、神に挑み続けた結果である。
ダヴィンチでなくても、人間の機能を生かすことはできる。
当たり前のことを当たり前に。
日常のあれこれを、自分の頭と体を使って行えば、身体まるごと長く使い続けることはできるはず。
(171103 第370回)