世の中というのは、じつは一見邪魔だと思えるような存在が邪魔ではないという部分におもしろみがあるのではないだろうか
何度お世話になったことだろう。禅僧で作家の玄侑宗久氏にふたたび登場していただくことにした。困ったときの玄侑さん。こむずかしい禅の話も世事のあれやこれやも、おもしろおかしく説いてくれる。肩の力の抜け具合が心地いい。
邪魔という文字を見て思いだした。
作家の故内海隆一郎氏の『欅の木』という作品。
退職を機に郊外に一軒家を購入した老夫婦が、事情あって庭に一本だけ残された欅の木を伐採しようとするのだが、はたしてその欅の木はほんとうに邪魔者なのかを問う話である。移り変わる季節を通して、主人公の心の変化にほっと胸をなで下ろした。
邪魔と思うのは人間さま。
意味があるからそこにある。
邪魔だなあと思うものも、なくなれば恋しくなるもの。
あるときには気づかないだけで。
嫌も嫌も好きのうち、ということか。
子供たちの遊ぶ姿はおもしろい。
障害物があっても、あえてぶつかっていったり、よじのぼったり。
石ころを拾い、花を摘み、鳥を追いかけ、虫取りに夢中になる。
寄り道、探検、かくれんぼ、パズルに迷路にまちがいさがし。
とにかくスムーズに行くことよりも、面倒なことをやりたがる。
しかも楽しそうに。
そう、子供たちは遊びの達人。
一見、不便そうなことや邪魔に見えるものもまるごと遊びに変えてしまう。
邪魔なものや不便なもの、無駄だと思うものに一見の価値あり。
排除する前に、しばし面白味を探してみるのはいかがだろうか。
遊び心とはそういうものじゃぁないですか?
(171109 第372回)