虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあったものなり
『曽根崎心中』や『冥土の飛脚』、『世話浄瑠璃』で知られる、江戸中期の歌舞伎狂言・浄瑠璃の作者、近松門左衛門の『虚実皮膜論』より抜粋。「皮膜」を「ひにく」と読ませているのがおもしろい。正確には、弟子の穂積以貫の聞き書きの書だというが、これぞまさに虚と実の秀作である。
美しく咲く花を見て「ああ、きれいだな」と思うのは人間。
花はそんなこと知ったこっちゃない。
生きるために、香りをばらまき、とりどりの色で虫たちを誘う。
植物たちの生存競争たるや、それはそれは義理も人情もあったもんじゃない。
生き残りや子孫繁栄をかけて、あの手この手でだまし合う。
というのが事実だとわかっていても、やっぱり人間は「きれいだな」「かわいいな」「健気だな」といって心慰められるのだ。
ある人が、こんなことを言っていた。
「科学者の婚約者と二人、星空を眺めて感動に浸っていたら、隣で『あの星は◌◌で、◌◌光年もの間〜』うんたらかんたらと、説明し始めるんですよ。私はただ『ああ、きれいだな』って眺めていたいだけだったのに」
と笑っていた。
誠実な人柄だったゆえ、ゴールインと相成り、めでたしめでたしで終わったからよかった。
事実を事実として受け止めることは大切だが、時として、ウソも方便でいいときがある。
知ってしまったから病気が悪化したという事例や、知らなくていいことを知ってしまって関係が悪化したという事例は枚挙に暇がない。
「芸というものは実と虚の、皮膜(ひにく)の間にあるものなり」
芸と言わず、人が生きていく上で心地よいのは、事実と虚構のほどよい間。
「間」を味わえるって、粋じゃあないですか。
(171217 第383回)